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二百二十日とはどのような日?

二百二十日(にひゃくはつか)とは、立春から数えて220日目にあたる雑節です。10日前の二百十日(にひゃくとおか)と同様に、稲の開花と結実の時期であり、台風シーズンの真っ只中でもあります。そのため、二百二十日は農業にとっての厄日とされています。このページでは二百二十日がどのような日か紹介しています。

雑節、二百二十日はどのような日なのか

農家の三大厄日のひとつ、二百二十日

立春から数えて220日目にある雑節が二百二十日です。そのため、立春の変動に合わせて二百二十日の日付も変化します。おおよそ9月11日あたりが二百二十日になります。ちなみに、この二百二十日と同じく立春から数えて210日目の二百十日、旧暦の8月1日の八朔の以上を合わせて農家の三大厄日ということもあるようです。なぜ、農家にとって厄日かというと、台風が到来する確率が高いからといわれます。ただ八朔に関しては、厄日として扱われることは少ないようです。理由として、旧暦の8月1日に固定されていて、新暦では一定でないからという見方をする向きもあるようです。
一方、二百二十日と二百十日は、今なお台風の接近や上陸に気をつける日として意識されています。実際に両方の雑節のある9月には台風がやって来る確率が高くなっています。特に二百二十日の前後が多い、集中していると見る向きもあります。台風という自然災害の脅威があるだけでなく、さらに二百二十日と二百十日は、稲の開花時期でもあります。稲穂が実るには、稲が開花し受粉しなければなりませんから、デリケートな時期にあたります。そうした重要な時期と台風シーズンが重なっていることから、ふたつの雑節の重要性が高まったといえるでしょう。
江戸時代に記された歳時記「改正月令博物筌(かいせいげつれいはくぶつせん)」にも、「今日の風を恐るゝは、二百十日は早稲(わせ)の花ざかり、二百廿日は中稲(なかて)二百卅日は晩稲(おしね、おくて)の花盛り也〜(中略)〜雨なしの大風を恐るゝ也」との記述があり、ここでも稲の開花時期と強い風が稲の結実を妨げることが書かれています。

二百二十日の雑節の雑節とは?

ここで先に出てきた雑節について説明しておきましょう。雑節とは、戦国時代の中国で考え出さられたという二十四節気、江戸幕府が祝祭日に定めた五節句のいずれでもない、それらを補完するための季節の移り変わりの目安のことです。この雑節にはこのページで取り上げた二百二十日以外にも、節分、八十八夜、入梅、彼岸などがあります。どれも耳にしたことがある季節の節目の名前ではないでしょうか。この雑節は中国由来の二十四節気が緯度も経度も違う日本では、実際の季節感と暦の上での節目との間でずれが生じるということから考え出されました。
ちなみに二十四節気は太陽の黄道上の動きを元にしていて、春分(春分の日)を0度として、一周360度を15度ずつ24等分して名前をつけ、季節の節目としたものです。暦や二十四節気という分かりやすい季節の区切りが作られたのには、農業のための年間スケジュールという面があります。天候の影響を大きく受ける農業にとって、季節を把握することは重要なのです。二十四節気には、作物の育成に都合の良い春雨がふることを指す「穀雨(こくう)」、種まきに適した季節という意味の「芒種(ぼうしゅ)」など、ダイレクトに農業を連想させる名前もあります。しかし、二十四節気のような既存の節目ではカバーできなかった、台風シーズンの到来と台風への警戒を呼びかけるために二百二十日が雑節としてつくられたのです。

二百二十日の風祭り

二百二十日の安全祈願のお祭り

先に見てきたように、二百二十日や二百十日は台風到来の季節です。当時の人々は育てている農作物が安全であるように祈願していました。それは風鎮祭や風祭りと呼ばれるもので、風日待(かざひまち)といって仕事を休み、村落で集まって飲食をする、村の神社に篭って祈願する風篭り(または風止め篭り)をするなど、各地のそれぞれの様式に則って行われていたようです。また時期も二百二十日前に限らず行われていました。
現代的な視点で見ると「神頼み?」と思う方もいるかもしれませんが、現代でも台風の進路を変えることはできませんし、暴風雨を防ぐこともできません。気象観測手段等の発展によって、台風の発生と予想進路はリアルタイムで分かるようにはなりましたが、それによってできる対策は台風の影響が予想されるなら収穫直前のものは収穫してしまう、水田なら水位の調節を適宜行うくらいのようです。ほかにも品種を画一化せずにリスク分散や土質の調整といった対策が推奨されていますが、根本的な解決策ではありません。今も昔も農業への自然災害の影響は大きいのです。

各地の風祭り

現代でも風祭りのようなお祭りを大々的にやる地域もあります。たとえば、奈良県生駒郡の龍田大社は風の神様として有名な神社ですが、7月に「風鎮大祭」という五穀豊穣を願うお祭りがあります。また、山形県東根市の若宮八幡神社で8月の最終日曜日に行われる「風まつり」では「太々神楽」という舞を奉納して五穀豊穣を祈願します。また、地域住民によるものとしては富山県富山市八尾町の「おわら風の盆」が有名です。9月1日から3日にかけて行われる風神鎮魂のお祭りです。
そのほか、二百二十日に近い日では、9月の第2土曜日に広島県廿日市で行われる二百廿日豊年市民祭があります。元々は豊年を感謝する400年以上の伝統があるという広島県廿日市のお祭りで、現在は商店街の売り出しがメインになっているようです。かつて、農産物を扱っていた商人が、二百十日を無事乗り切った農家に感謝したことが祭りの起こりといわれています。

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二百十日とはどのような日?

二百十日と書いて「にひゃくとおか」と読む、この日は季節がどのような時期か示す雑節という目安のひとつの日になります。稲の開花時期と同時に台風襲来のシーズンが重なっているため、農家には注意が必要な季節だとされています。このページでは二百十日の由来やどのような日なのかを紹介しています。

雑節、二百十日はどのような日なのか

二百十日は何から数えて二百十日?

二百十日は、雑節と呼ばれる季節の変化を把握するための目安のひとつです。何から数えて二百十日というのかというと、立春から数えて210日目ということになります。立春は二十四節気という古代の中国で考え出された季節の区分のひとつです。先に出た雑節は、中国と日本で実際に感じる季節感のずれを修正するために、二十四節気を導入した日本が独自に付け足したものです。また二百十日のみならず、八十八夜や二百二十日(にひゃくはつか)などの雑節が、立春を起点として日数をカウントした名前がついています。こうしたことから察せられるかもしれませんが、立春は様々な季節の区分のスタート地点となっています。これは立春が農耕のスタート時期になっているからであり、そもそも暦や季節の区分が作られた理由が、今のような気象情報などの無い時代に、天候や季節の影響を大きく受ける農業生産を円滑に行うために必要だったことにもつながります。
ですから、二百十日が現代のカレンダーの上で何日になるかは、その年の立春次第になります。立春はおおよそ2月4頃になり、二百十日は9月の1日頃になります。

二百十日はどのような季節感の日なのか

現在の暦では、9月の頭の辺りになる二百十日は稲の開花時期にあたり、お米を作る農家にとっては非常に重要な時期になります。しかし、この二百十日から10月末にかけては、同時に台風が日本によく接近・上陸して来る時期でもあります。台風は育てている農作物に大きな被害を与える恐ろしい災害です。こうした自然災害に警戒を呼びかける意味合いで、二百十日という雑節が作られたのだといわれています。また変わったところでは、中国で厄日に設定されていた百五日を倍にしたという話もまた一説あります。

約800年間使われてきた暦の改定時にできた二百十日

この二百十日を決めたのは、渋川春海という17世紀半ばから18世紀初頭にかけて活躍した江戸時代の天文学者だといわれています。平安時代からそれまで約800年に渡って同じ暦が使われていました。この暦は中国の唐朝から導入したもので、そもそもの日本と中国の緯度経度も違えば、実際に観測される太陽や月の動きとのずれも蓄積している状態でした。この暦を改定したのが渋川春海という人物です。前例を覆すのは昔の日本でも大変だったようで、暦の改定が認められるまでには難事だったようですが、貞享2年(1685年)から「貞享暦(じょうきょうれき)」という初めて日本人の手による暦が施行されるようになりました。
二百十日を決めた理由には、品川の高齢の漁師から必ず立春から210日に台風が来ると聞いたとも、過去に到来した台風の日を集計して決めたともいわれています。

二百十日の行事など

二百十日の安全祈願と五穀豊穣

先に紹介したように、二百十日の時期は稲の開花時期にあたります。順調に受粉することで実が成るわけですから、とても重要な時期です。しかし、それまでの作業を無にさせかねない、台風という自然災害がやってくる確率が高い時期にも入ります。こうしたことから、昔の農家は風鎮祭や風祭りを行って、育てている農作物が被害を受けないように祈願したようです。このお祭りは各地でそれぞれの様式で、また時期も二百十日前後に限らず行われていました。風日待(かざひまち)といって仕事を休み、集落や村落で集まって飲食をすることもあれば、村の神社に篭って祈願する風篭り、風止め篭りをすることもあったようです。
現代でもそうしたお祭りを大々的にやる地域もあるようです。たとえば、奈良県生駒郡の龍田大社は風の神様として古くから信仰を集めている神社ですが、7月に「風鎮大祭」という五穀豊穣を願うお祭りがあります。また、山形県東根市の若宮八幡神社で8月の最終日曜日に行われる「風まつり」では、「太々神楽」という舞を奉納して五穀豊穣を祈願します。また、地域住民によるものとしては富山県富山市八尾町の「おわら風の盆」が有名です。9月1日から3日にかけて行われる風神鎮魂のお祭りです。

現代でも無視できない自然の脅威

現代では農業に携わる人口が昔に比べると激減していますから、あまり二百十日を意識することは無いかもしれません。また、カロリーベースでの食料自給率が4割を切る日本にあっても、主食用のお米の自給率はなんと100%をキープしていると発表されています。とはいうものの、1993年に起きた米不足の騒動(このときは冷夏と長雨によるとされています)などを考えると、台風などの自然災害が廻り廻って、日々の食卓を襲うことも無いとは言い切れないでしょう。近隣に二百十日のお祭りなどがあれば、出かけていって台風の害からの安全や五穀豊穣を祈願してみてはいかがでしょうか。

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十六夜とはどのような月?

旧暦の16日の夜、またその夜に出る月のことを略して十六夜(いざよい、じゅうろくや)といいます。月のきれいな夜としては、中秋の名月で十五夜が有名ですが、もしかしたら十六夜はあまり耳にしないという方もいらっしゃるかもしれません。このページでは、十六夜の月夜について紹介しています。昔ながらの季節感を意識して過ごすと、日々に新しい彩りを感じられるようになるかもしれません。

十六夜の月はどのような月?

かつて日本人の日々の移ろいと共にあった月の満ち欠け

十六夜は、名前が示すように旧暦の16日の夜や月のことをいいます。狭義では、中秋の名月(旧暦8月15日)の翌日の旧暦8月16日に限定した意味で使用されることもあります。なお、ここで注意したいのは旧暦ということです。昔の日本人が使用していた旧暦には、月の満ち欠けを基準にした太陰暦、その太陰暦で生じるズレに閏月(うるうづき)を加えて補った太陰太陽暦があります。このように、昔の人々は日付の把握に月の満ち欠けを利用していたので、月にはその見え方によって様々な呼び方があります。タイトルにある十六夜はもちろん、満月の十五夜または満月の意味の望月、三日月、欠けた月を弓の形に見立てた弓張り月(新月から満月までを上弦の月といい、満月から新月を下弦の月といいます)、満月の前日の小望月(こもちづき)などがあります。人々の生活に月が密着していたことが窺えるのではないでしょうか。また、街灯などの明かりが無い時代ですから、夜を照らすものとして頼りにされたりと、今では想像できないくらい月の存在が大きかったのかもしれません。

十六夜の名前の由来

十六夜の読みにある「いざよい」は猶予とも書くことができます。現在では猶予(ゆうよ)と読まれることが一般的ですが、古い時代にはいざよいと読んでいたのです。いざよいはいざようの名詞形で、その意味には進もうとしても進めない様、ためらい、躊躇などがあります。実はそのためらう様が十六夜という名前の由来になります。16日目の月は、十五夜の満月に比べると、ややためらいがちに出てくるように、昔の人には感じられたようです。

十六夜は新暦だといつになるのか

十六夜の16という数字は最初に紹介したとおり、旧暦での新月を1とした場合の日数のカウントになります。ですから、新暦を使う現代では何月の16日といったことにはなりません。その年、その年で変化しますから、確認が必要になります。このページをご覧のように、幸いインターネットがありますから、国立天文台などのwebサイトで知りたい月齢が現代のカレンダー上で何日にあたるのかを簡単に確認することができます。

お月見の風習

日々の暮らしと月の満ち欠け

繰り返しになりますが、月の満ち欠けは昔の日本人に大きく注目されるものでした。暦そのものがそうです。現代でも会計上の期末や休日、学期など、カレンダーに従って人々は行動します。同じように昔の人も暦に従って行動していました。今のように工業が発達する以前、昔はほとんどの人が農業生産に関わっていました。農業を行う上で季節のサイクルを把握することは、何かの農作業をするのに適切な時期を知るために大切なことでした。これは洋の東西を問いません。有名なところでは、ナイルの賜物といわれる古代エジプト文明の暦は、ナイル川の氾濫時期を計測することから始まったといいます。また、日本にも導入された古代中国の二十四節気という季節の区切りも農作業の目安となるものでした。
ちなみに、満潮や干潮といった潮の満ち引きの自然現象に月の引力が関係しています。新月のように月と太陽が並んだ場合は、両方の引力によって大潮といった現象が起きます。

十五夜、十三夜の月見の慣習

狭義での十六夜は旧暦8月16日ですが、この時期は秋の収穫期にあたります。そのため前日の十五夜では収穫した農作物を供えて感謝を表すお月見の風習もありました。月を鑑賞する風習自体は中国の唐の時代にはあったようで、平安時代には日本でも広まりました。日記や物語などの王朝文学や和歌から、月見の宴が親しまれていたことが窺われます。
貴族社会だけでなく、庶民の間にもお月見の風習はやがて広まります。特に農民は秋の収穫期にあたる仲秋の名月(十五夜の月)に、その年の収穫物を供えて実りを感謝すると共に五穀豊穣を祝うようになったとされています。また、中秋の名月が特に月見の代表となったのには、秋の夜は空気が澄んでいるため、月が一番きれいに見える季節ということもあったのかもしれません。お月見では、月見団子やサトイモ、枝豆、栗などを三方に乗せて飾り、秋の七草や灯明の明かりも添えるのが一般的です。また、お祝い事には付きもののお酒で月見酒という方も多いでしょう。酔いにまかせて、古来の風習に従って一首詠んでみるの面白いかもしれません。
この十五夜の月見だけでなく、十三夜の月見というものもありました。こちらは旧暦の9月13日にあたります。十三夜は十五夜に次ぐ名月とされて、どちらか片方だけのお月見をすることは片見月といって避けられたといわれています。また、十五夜を芋名月というのに対し、十三夜を豆名月、栗名月と収穫シーズンの作物の別名がついています。この時期の贈答品を選ぶときには、このようなところをヒントにするといいかもしれません。
このように、普段何気なく目にする月の満ち欠けにも、農作業といった日々の暮らしを裏から支え、美しい天体現象としても鑑賞されたという歴史があります。夜空を見上げてふと目に入った月からも、季節感や風情を感じとって、気持ちを豊かにすることができるかもしれません。

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世界でも珍しい祝日、山の日

日本といえば海に囲まれた島国で海の日という祝日がありますが、世界でも比較的山がちで、峻険(しゅんけん)な国土といわれる日本に相応しいかもしれない国民の祝日が山の日です。世界でも類を見ないといわれる山の日ができるまでの経緯や山の日の趣旨、そして山の日にはどのような行事が行われているのかをこのページで紹介しています。山の日のある時期は、お盆休みや夏休みをとる方も多いかと思われます。まとまった休みを利用して、何か山の日らしいことをするときの参考にしてみてください。

山の日とはどのような日?

山の日が国民の祝日になるまで

2016年から新たに追加された祝日が山の日です。国民の祝日に関する法律では、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」とされています。2000年代前半から山の日の制定へ向けての運動が起きていました。さらにさかのぼれば、海の日が祝日になった2年後の1997年以降、山梨県を皮切りに、岐阜県、群馬県、広島県、大阪府などの都道府県単位で次々と山の日が制定されていますから、山の日の祝日制定に向けた気運の高まりの源流はそのあたりからあったのかもしれません(山の日制定の提言自体は、1961年の富山県立山での登山大集会での「山の日をつくろう宣言」までさかのぼります)。さて、2010年には日本山岳協会など国内の山岳5団体が協力し、山の日制定評議会が設立されて、国会議員などへの働きかけが始まりました。その3年後には、衆参両議院、超党派の「山の日」制定議員連盟が発足され、さらに翌2014年には国会に「山の日」法案が提出可決され、2016年に施行されました。

山の日の日付の理由

山の日は、8月11日となっていますが、その理由には山を連想させる数字だからだといわれています。月の8は漢字で書くと「八」となり山のように見えるから、日の「11」は木が並んでいるように見えるからとされています。山の日が国民の祝日に制定される前に、各地の自治体が山の日をつくったときも、8月8日(山梨県、岐阜県)や11月11日(香川県、愛媛県)など、8や11の数字が使用されています。
また11月8日でもなく、8月8日でも11月11日でもなく、8月11日になったのは、お盆休みがすぐ間近にあって休みがとりやすいだろうという考えからだといわれています。
また国民の祝日が無い6月と8月のどちらかにという話では、夏休み中が多くの人に山に興味をもってもらえるということで、8月になったそうです。そのほかにも夏休み中で学校の授業日数に影響が出ないからという話もあります。

山の日の過ごし方

日本人と山のかかわりを山の日で再認識

日本に関して、島国とは内外からよくいわれることで、その結果、海を意識する方は多いかもしれません。しかし、翻って普段から仕事以外で山を意識するのは、登山やトレッキング、ハイキング、クライミングといった趣味を持つ方くらいでしょうか。また、余暇の過ごし方として海水浴のカジュアルさに比べると、山に関する趣味は、多少ハードルが高めなのは否めません。山岳地帯が国土に占める割合が約7割とそこそこ大きく、海の無い県はあっても、山の無い県はないくらいですま。ですが、このように身近な存在なのにも関わらず、お出かけ先としては海を選ぶ人が1.5倍〜2倍いるようです。
とはいうものの、日本人は古来から海と山の両方に深く関わってきています。記紀神話に載っている海幸彦と山幸彦の伝説からも、はるか遠い昔より日本人は海と山の両方の自然の恵みを享(う)けて過ごしてきたことが推察できるのではないでしょうか。また、少し堅い話になりますが、安全保障関連の話ではシーレーン(海上交通路)といった言葉もよく出てきます。それと同様に、土砂災害からの国土の保全や水源地の管理といった今日的な視点からも、山は密接に日本人の生活に関わっています。ですから、山の日という祝日の趣旨として「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」とうたわれているように、山の日を契機として、多くの人が山々に実際に触れる機会が得られたことは大変有意義なことではないでしょうか。

山の日のイベントに参加する

山の日には、先述の山の日制定評議会が、山の日記念全国大会というイベントを開催しています。第一回目は長野県で開催され、以降も開催地を変えて毎年イベントを開催しているようです。地元や近隣の都道府県で開催されるようなら、開催地の自治体が特に力を入れて通年で様々な関連イベントを開催しているでしょうから、興味をひかれるものがあれば参加してみてはいかがでしょうか。開催地以外でも山の日には各地で様々なイベントが開かれます。

個人的に山の日を楽しむ

自治体や団体が主催するイベントに参加することだけが、山に親しんで山への感謝の念を新たにすることにつながるわけでもないでしょう。近場の山を散策してみるのも良し、高原のペンションに避暑へ行くも良し、バードウォッチングに出かけてみるのも良し、カブトムシやクワガタムシを獲りに行くのも良し、山に親しむにしても様々なアプローチが考えられます。自分の興味がわく分野を通じて、山に親しむのが一番山の恩恵を感じられることでしょう。

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9月9日の「重陽の節句」を知っていますか?

3月3日は桃の節句・5月5日は端午の節句、このあたりは知っている人も多いでしょう。しかし1年間に五節句といって、5回節句があるのをご存知でしょうか?ほかには1月7日の人日の節句・7月7日の七夕の節句があります。前者は七草がゆを食べる、後者は七夕様で何となくイメージできる人もいるでしょう。しかし最後の9月9日の節句はあまり知られていないでしょう。今回はこの9月9日の重陽の節句についてみていきます。

重陽の節句の基礎知識を学ぶ

五節句はなぜ決められた

重陽の節句を含む五節句は冒頭に紹介したように、1月・3月・5月・7月・9月と奇数の日取りになっています。古来より奇数は縁起の良い陽数といわれていました。五節句はいずれも奇数の組み合わせのため、より縁起も良いということでお祝いするようになりました。五節句は江戸時代に定められたといわれています。
五節句はめでたいのですが、その反面悪いことにこれから転じる可能性もあります。このため、お祝いとともに厄払いも行っていました。ちなみに9月9日は一番大きな陽数が重なることもあって、「重陽の節句」と呼ばれるようになりました。不老長寿や繁栄を願うような行事が日本全国で行われていたそうです。

主役は菊

五節句を見てみると、それぞれある植物が象徴的に出てきます。1月7日は七草、3月3日は桃(の花)、5月5日は菖蒲、7月7日は笹といったようにです。9月9日の重陽の節句は、別名「菊の節句」といわれています。このため、9月9日は菊が主役の節句といわれています。菊は昔から薬草として重用されてきました。また、長生きに縁起の良い植物ともいわれています。「菊慈童(きくじどう)」伝説という話を聞いたことはありませんか? この伝説は、ある少年がその年齢のままで菊の力により700年も生きたというものです。実際ほかの花と比較しても、花期が長いといわれていますので長寿にふさわしい植物と考えられています。
菊といえば晩秋に咲く花というイメージがあるため、9月9日は少し早いのではないかと思っている人もいるでしょう。しかし旧暦の9月9日ですから、新暦でいえば10月の中旬頃です。この時期は菊が美しくなる季節で菊の節句にはふさわしいタイミングでした。

中国由来の行事

もともと重陽の節句は、中国に由来した行事といわれています。中国から伝来したのは平安時代ごろで、当時貴族が宮中行事として取り入れられるようになりました。この時、菊の花も中国より伝来したといわれていて、菊を眺めながら宴を催すほかに厄払いや長寿祈願も行っていたそうです。当時は貴族など特権階級に限られたものだったのですが、徐々に民間に広まっていきました。そして江戸時代になって、五節句の一つに制定されました。

重陽の節句はどう楽しむもの?

菊を使ったイベントが多い

9月9日の重陽の節句はどのように楽しめばいいのか、と思っている人もいるでしょう。先に説明したように菊の節句といわれているため、菊が主役です。重陽の節句の前日に着綿(着世綿とも)といって菊の花に真綿をかぶせます。そして翌朝になると、その真綿には菊の香りや露が含まれます。この綿で体を清める儀式で、長生きのご利益があるといわれています。綿は赤・白・黄色の真綿を用いるのが正式なスタイルです。
5月5日の端午の節句では、お風呂の中に菖蒲を入れた経験はありませんか? これと同じような要領で、菊湯につかるのも重陽の節句の過ごし方の一つです。やり方はシンプルで、湯船に菊を浮かべて入るだけです。菊の香りによって、アロマに近い効果が期待できます。そのほかには、枕の中に菊を詰める菊枕で眠るというもので、菊の香りによって邪気を祓うとされています。菊そのものでなくても、ポプリやアロマオイルなどで代用してもよいでしょう。

どのような食べ物を食べる?

重陽の節句で供される料理は、こちらも食用菊が欠かせません。おひたしやお吸い物など様々な添え物として使えます。そのほかにはお刺身を盛るときに使われることも多いです。菊の花にはただの飾りだけでなく、抗菌作用に優れる特性も持ち合わせています。このため、菊花を使うことで食中毒を防ぐメリットもあります。菊のお菓子を食べるのもおすすめです。光琳菊(こうりんぎく)や菊の干菓子などが販売されているので、茶菓子として食してみるのはいかがですか?
また江戸時代からは栗ご飯を食べる習慣もあります。このため、地方によっては「栗の節句」と呼ぶこともあるほどです。

菊のアレンジで楽しむ方法も

9月9日は菊の節句です。そこで、菊の花を使ったコーディネートを楽しむのも一つの方法です。菊といえば和のイメージを持つ人も多いでしょう。しかし菊の茎や葉っぱをカットして花だけにすれば、意外と洋室でもマッチします。菊の花にビー玉などをアレンジすることで、フラワーアレンジのバリエーションも広がるでしょう。そのほかに和食器に菊の花を浮かべると日本的でありながら、モダンな雰囲気も感じられます。西洋菊の中には、さまざまなカラーバリエーションがあります。西洋菊を使って、カラフルな演出を施すのもおすすめです。

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八朔とはどのような日?

八朔(はっさく)とは、旧暦の8月1日のことです。またその日に行われる行事のことも指します。また、柑橘類のフルーツのはっさくも漢字で書くと八朔になります。もちろん、日付の八朔に関連してフルーツに名前がつけられました。また、八朔という贈答品のやり取りがあった時代もありました。こうした情報を取り上げて、八朔がどのような日なのかをこのページでは紹介しています。現在ではあまり意識されない日かもしれませんが、昔その日に込められていた意味を意識すると、日々に変化が出て刺激になるかもしれません。

八朔の日付と、フルーツのハッサク

八朔の日付はいつになるのか?

八朔とは、8月の朔日(ついたち、さくじつ)であることを示しています。そして、朔日とは新月の最初の日ということを表しています。つまり、旧暦の8月1日ということになります。現在のカレンダー上では、8月下旬から9月下旬のどこかに当てはまります。また、新暦の8月1日をそのまま八朔として用いる場合もあります。

柑橘類の八朔との関連

現在、はっさくという音を聞けば、多くの人が連想するのは柑橘類のはっさく(八朔)ではないでしょうか。ミカン科の分類に属する、堅くて分厚い皮と強い酸味や苦味のあるあの果物です。漢字で書くと同じなように、両者には関連性があるようです。
フル−ツのはっさくが発見されたのは、比較的最近の話で、江戸時代末期のことといわれています。広島県にあるお寺の住職が、たまたま境内で発見したものと伝えられています。そして発見者の住職が八朔の日にならないと食べられないから、という理由ではっさくという名前をつけたとも伝わっているようです。ただし実際は八朔の日には、まだ十分に熟していないことが多いそうです。はっさくの発見は広島でしたが、現在は和歌山県が生産量トップなようです。
しかし、生産量のトップは和歌山に奪われたものの、はっさく発祥の地である広島も負けていません。はっさくを大福餅の餡に使用して、はっさく大福として銘菓が生み出されています。はっさくの果実を白餡で包み、それを餅で包んだ大福餅となっています。八朔前後に、よそのお宅を訪問する機会があれば、こういった季節の果物を使ったお菓子を贈り物にして、話のタネのひとつにしてみるのもいいのではないでしょうか。

八朔とたのみの節句

お中元やお歳暮に並ぶ贈答の風習、八朔の祝い

かつての旧暦にもとづいて人々が生活していた時代では、八朔は夏から秋への移り変わりのタイミングでした。そこで、秋の収穫を前に豊作を田の神様に祈願するお祭りがありました。それをたのみの節句といいます。たのみの節句には、田の実、田実、憑などの字が当てられています。また、作物の豊かな収穫を願う日であり、たのみの音は、頼みに通じることから、日頃よく頼み事をする相手へ新しく収穫した穀物を贈る風習が生まれました。この贈答の慣わしは鎌倉時代に始まったといわれています。この風習はやがて町方、いわゆる町人達の間に広まりました。一方、武家の間では八朔の祝いという名前で、主従関係をより強固なものにするために贈答品のやりとりをお互いに行ったといいます。この八朔の祝いの贈答は、面子を重んじる武家ということもあったため、贈答が過剰になり規制が入ったという話もあるそうです。頼みや八朔に倣って、親しくお世話になっている人に、何かちょっとしたギフトを送ってみるのもおもしろいかもしれません。

八朔に家康が江戸城へ入城したため徳川幕府の重要な日に

江戸時代には、8月1日が幕府を開いた徳川家康が江戸城に初めて入城した日だったため、とても重要視されていたようです。八朔の日には江戸城で大名達が、主君である将軍に祝辞を述べていたそうです。
また、かつて江戸では吉原の遊女達が白無垢の小袖を着て八朔を祝ったという話もあります。

八朔のその他のお祝い

八朔の贈答の風習は、いまやほとんど見受けられません。贈答の風習はお中元とお歳暮がすべて持って行ったかのようです。しかし、贈答の他にも現代に残る八朔の行事があります。
たとえば八朔祭りがそうです。昔のままの農村の豊作祈願の形を残したものもあれば、大名行列もあります。山梨県の都留市の地元では「おはっさく」と呼ばれる八朔祭りがあり、生出(おいで)神社の秋の祭りとして行われていますが、大名行列が目玉のようです。京都松尾大社(きょうとまつおたいしゃ)の八朔祭では、奉納相撲に神輿、盆踊り等の行事が行われています。そのほか熊本県山都町でも大造り物の引き廻しといって、大きな山車を引き回し、豊年祈願と商売繁盛の八朔祭りが行われています。このお祭りの山車は、地元の自然から素材を調達して造られるそうです。
農耕の予祝儀礼(よしゅくぎれい:前祝い)として、穂掛けの飾りつけなどして、豊作の祈願を行なっているところもあるようです。まだまだ全国各地を探せば、八朔祭りを開催しているところがあるでしょうから、まだ見たことないお祭りとの出会いを求めて探してみるのもいいかもしれません。
また京都市の祇園では、舞妓さんが唄や踊りの師匠やお世話になっている方のところへ、八朔のあいさつ回りをするのが、しきたりになっているようです。当日(新暦の8月1日)はその様子を見ようと普段以上に観光客で賑わうそうです。

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地蔵盆とはどのような日?

地蔵盆は旧暦の7月24日に、月遅れで8月24日に行われるお祭りです。お地蔵様の縁日で子供のためのお祭りともいわれています。また、おもに近畿地方で行われるお祭りで、それ以外の地域の方には馴染みがあまり無いかもしれません。そのため、このページでは発祥の地とされる京都の地蔵盆をおもに参考にして、地蔵盆がどんなお祭りなのかを紹介していきます。

地蔵盆とはどんなお祭りなのか

地蔵盆が行われるのはいつなのか

地蔵盆は、地蔵会、地蔵祭、地蔵廻りなど、地方で様々な呼び名がある、お地蔵様にまつわるお祭りで、子供のためのお祭りだとされています。おもに近畿地方を中心に行われているようです。呼び名も様々ですが、お祭りの内容も地域で様々なようです。地蔵盆が催されるのは、旧暦の7月24日を中心として2、3日間でした。新暦に変わってからは、月遅れの8月24日におもに行われているようです。この24日というのは、地蔵菩薩の縁日とされていて、他の月にも行われるお地蔵様関連のお祭りがあります。

お地蔵様とは何のこと?

お地蔵様というと笠地蔵やしばられ地蔵、とげぬき地蔵、勝軍(しょうぐん)地蔵など、説話や昔話にもたびたび登場していますが、どのようなものなのでしょうか。お地蔵様は地蔵菩薩といって、六道の衆生(しゅじょう)を教え導き、救済する存在とされています。奈良時代には地蔵菩薩について書かれた経典が輸入されたといわれていて、平安末期から庶民の間へ広まっていったといいます。鎌倉、室町の中世には民間信仰として深く根付いていたようで、お堂を建てて石像をまつるだけでなく、道祖神(どうそしん)信仰と結びついて道路脇にも石像が建てられました。現在でも様々なところで割とよく目にするくらいお地蔵様の像が建てられていて、広く大衆から信仰を集めていたことが窺えると思います。お地蔵様の像は一般的に、僧体で右手に錫杖(環のついた杖)、左手に宝珠をもち、赤いよだれかけを首に巻いた姿をしています。なお、道祖神とは集落の守り神であったり、旅の安全や子孫繁栄などのご利益を期待された神様です。

地蔵盆はいつから始まったのか

お地蔵様への民間の信仰は、地蔵講という信者達が集まって地蔵菩薩の功徳をたたえる会から始まりました。青森県の恐山の地蔵講は、今に残るもっとも有名な地蔵講かもしれません。室町時代には武家からも信仰されるようになり、また六地蔵めぐりというお参りも流行しました。こうした広範な信仰の広がりとお地蔵様への尊崇の念から、江戸時代に入ると地蔵盆という風習が始まりました。一説によると京都で始まった地蔵盆の風習が近隣各地へと伝播し、近畿一円から北陸と中部の一部地域で地蔵盆が行われるようになったといわれています。
京都でお地蔵様の信仰が深かったのは、火災が多かったために各町内に火除け地蔵が安置されていたこと、さらに江戸時代の京都では、各町の入り口付近に安置されたお地蔵様が、まるで門番か守り神のように信仰されていたことが理由として考えられています。
この地蔵盆のお祭りですが、明治維新後にあった廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の時期に中断があったものの、現在まで続いています。

発祥の地の京都に見る地蔵盆

京都の地蔵盆に見るお祭りの趣旨

地蔵盆とはどんなお祭りなのか、それには地蔵盆が最初に生まれた土地ともいわれる、京都の地蔵盆を参照するのが一番良いでしょう。まず、地蔵盆を開くのはどのような理由からなのか? 京都市の文化財保護の部署のパンフレットによると、地蔵盆が行われる理由として、町内の安全、人々の安全、子供の安全を祈願し、また人々の様々な願いが叶うように、そして町内の親睦を図るためだということです。

京都の地蔵盆で行われること

地蔵盆の開催場所は、お地蔵様の祠の近くのスペースのあるところで行われることが多いようで、また地蔵盆を主催するのは、町内会かもしくは子供会と、町単位で行うことが多いようです。この際、お地蔵様を祠から出して、設(しつら)えた祭壇に飾るそうです。そして花や地蔵幟(じぞうばた)の飾りつけが行われたり、落雁(らくがん)や白雪羹(はくせんこう)、紅白餅が供えられます。お地蔵様もよだれかけを新しいものに変えたり、彩色が行われたりするようです。会場も灯篭や行灯などで飾りつけが行われます。
では、地蔵盆では実際にどのような行事が行われているのでしょうか。前述のパンフレットによると、一般的にはお坊さんがお経をあげることから始まるそうです。そしてお坊さんがあげるお経の、数珠繰り(数珠回し)という直径が2m以上という巨大な数珠を囲み、円座に連なった人達でまわすこと。仏教の教えを和風に五・七・五・七・七にし、旋律を付けて唄うご詠歌、また福引やお菓子の配布、盆踊りなどもあるようで、地域に密着した行事であることが窺えます。なお、お祭り後、下げたお菓子などのお供え物は子供達に配られるそうです。こうしたお菓子は甘いものが貴重だった当時は夏バテ気味の子供達には、いいエネルギー補充になったそうです。
地蔵盆には地域で育まれてきた伝統と文化、住民同士の交流を現在そして後世に伝えるものとして、深く根付いているようです。

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立秋とはどのような日?

これから秋に入ることを暦の上で示したのが、立秋という季節の節目です。とはいえ、実際は8月上旬ですから、立秋を迎えたといってもまだまだ夏の暑さが感じられるでしょう。しかし、手紙などの時候の挨拶では立秋を境に、定番の言葉が切り替わります。夏の盛りでありながらも、秋の訪れを感じ取ることができる立秋という季節の変わり目をこのページでは紹介しています。

立秋の日付と二十四節気

立秋の日付はいつか?

立秋は8月7日頃を指す、二十四節気という季節の変わり目を表すもので、年によって日付が変わることがあります。名前から受ける印象通り、夏から秋へと季節の変化を意味しています。二十四節気とは一年を24等分に区切ったもので、太陽の黄道上の動きを一年で360度としており、春分を0度として15度ごとに24等分されています。立秋は135度にあたる位置です。昼と夜の長さがほぼ等しくなる春分と秋分(180度)の間の夏至(90度)から45度秋に寄っていますから、日が落ちるのも早くなったと感じ始める季節かもしれません。

立秋のある二十四節気とは

ちなみに二十四節気は、元々は中国の戦国時代に考え出されたものです。気候や天候の自然現象の影響を受けることが大きい農業を、できるだけ円滑に営むことができるように一年を区切って、いつどのような農作業をすれば良いかの目安になるようにしたものです。食糧生産が国や人が生きていく根幹ですから、のちに日本にも導入されました。

夏にあって秋を感じさせる立秋

注意すれば立秋に秋の訪れを感じ取れるかも

立秋の8月7日頃は、まだまだ太陽の日差しも強く、暑い日が続いて秋という感じがしないかもしれません。夏の風物詩となって久しい甲子園で開催される全国高等学校野球選手権大会が始まるのも立秋のあたりです。しかし、そうした中でもちょっとしたところから秋の訪れを探してみるのも楽しいかもしれません。
まず暦の上では秋になりますから、時候の挨拶に変化が生じます。立秋を機に残暑という季語が使用されるようになります。改まった手紙の文面ではこの時期以降、残暑厳しき折〜などよく見かけるのではないでしょうか。暑いことには変わりはありませんが、字面だけでも残暑に変わると、なぜだか暑さが一段弱まった感じになりそうです。実際、日中はともかく朝夕は徐々に過ごしやすくなってきたのを注意すれば感じ取れるのではないでしょうか。
また夏といえばセミの鳴き声がありますが、ひぐらしの鳴き声も頻繁に耳にするようになるかと思います。ひぐらしの鳴き声には、聞く人に儚さや言い様の無い物悲しささえ感じさせる美しい響きがあります。まさに終わりゆく夏を感じさせる風物詩としては完璧かもしれません。また鈴虫も7月下旬頃が羽化の時期とされますから、その鳴き声も秋を感じさせてくれることでしょう。

立秋で旬を迎えるとされるもの

立秋は秋への入り口とすると、気になるのは食べ物ではないでしょうか。秋はなんといっても一年を通じて農作物の収穫がピークの時期です。また食欲の秋という言葉もあります。そうして旬を迎えた食べ物を食べることで秋の訪れを感じとってみるのも良いかもしれません。
そこで立秋に旬を迎える食べ物をいくつか挙げていきましょう。まず7月から9月にかけて旬を迎える桃が挙げられます。桃は水分や果糖を多く含み、喉の乾きや疲労を癒してくれる暑さの残る日々にはありがたい果物です。余計な塩分の排出に作用するカリウムの含有量も多いといわれています。8月8日、9日、10日を指して白桃の日というようです。漢字で日付を八九十と書くと「はくとう」と読めることからきているそうです。米や麦に並んで世界の三大穀物であるトモロコシも旬といわれています。他にも枝豆、トマト、ナスなども旬として名前が挙がるようです。旬の美味しいものなら、夏バテで減退した食欲も復活するかもしれませんし、しっかり食べれば夏の暑さで消耗した体力を回復できるかもしれません。
また、食べ物ではありませんし地域でも差がありますが、ヒマワリの花も旬のものとしてとりあげられます。成長期には、太陽の方を向くことから名前がついたといわれます。ギリシア神話では太陽神アポロンに焦がれて、アポロンが天を巡るのを見つめ続けたニンフ(妖精)がついにヒマワリになったという話もあります。また、つゆくさや萩もあります。秋の訪れを感じさせる季節の花は贈り物にいいかもしれません。

立秋に残る夏の過ごし方

立秋といえどもまだまだ暑い夏の過ごし方に注意

立秋のすぐあとには、お盆の季節がやってきます。この期間に夏休みが支給される会社も少なくないことでしょう。また、有給休暇を規程の夏休みの前後に合わせて、長期休暇にする方もいらっしゃるかもしれません。そうした長期休暇で海へ山へ、レジャーに出かける機会は多いと思われます。暦の上では秋となり、気をつければ秋の気配を感じることもできる季節ですが、夏の季節の対応はまだ必要です。

立秋を迎えても日差しに注意

レジャーで外出する場合、やはり一番気になるのは紫外線ではないでしょうか。好んで真っ黒に日焼けしたい場合は別として、過度に紫外線を浴びることは避ける方が良いでしょう。紫外線には、皮膚癌などの皮膚の疾病リスクを高める力があります。そこまでいかなくても、のちのちシミやしわの増加に影響を与えます。日焼け止めや日傘、アームカバーなどの使用を考えると良いかもしれません。また、サングラスなどのUVカット機能の付いたアイウェアも良いでしょう。日本人は瞳が黒いからといった理由で看過しがちですが、紫外線は白内障や黄斑変性(おうはんへんせい)症などの発症リスクを高めることもあります。夏のレジャーに出かける前にはこうした紫外線からのケア用品を見繕ってみてはいかがでしょうか。

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「たのみの節句」とはどういう行事の日?

たのみの節句とは、旧暦の8月1日の八朔に行われていた農作物の豊作を願って、収穫の前にお祝いをしていた日です。このページでは、たのみの節句がどのような日か紹介しています。近年ではあまり省みられることのない、たのみの節句ですが、かつてどのような行事があった日かを知ると、日々に変化を付けるアクセントになるかもしれません。

たのみの節句とはどういうものか

たのみの節句の由来

たのみの節句は、夏から収穫の秋へと季節が移り変わる時期にあって、農作物の収穫を前に、田の神様に豊作を祈願するお祭りの日です。このような、まだ無いものがきっと有るように願って、この場合、収穫前に豊作を前祝いすることを予祝儀礼(よしゅくぎれい)といいます。穂出し・穂掛けなどの飾り付けをして、たのみの節句では収穫の前祝いをしていました。このたのみの節句には、田の実、田実、恃怙、憑などの字が当てられることがあります。田実などは、田の字と実るという字が入っていて、いかにも農業に関する祭りのような感覚になりますが、恃怙はどちらの漢字にも「たのむ」「たよりにする」という意味があります。たのみの節句の「たのみ」とは、作物の豊作を祈る(たのむ)日ということから、日頃よくたのみ事をする相手に、新しく収穫した穀物を贈る風習が生まれました。
この、たのみの節句に贈り物をする風習は、鎌倉時代には存在していたようです。また、農家の間から町人達の間へと、贈答品のやりとりをする風習が広まっていったようです。

たのみの節句があった八朔

たのみの節句が行われていたのは、旧暦の8月1日で、八朔にあたります。八朔というのは、8月の朔日(ついたち、さくじつ)ということを省略したものです。また、朔日とは新月の最初の日ということを表しています。つまり、現在の新暦を用いたカレンダーの上では、8月下旬から9月下旬のどこかに当てはまります。なお、新暦の8月1日をそのまま八朔として用いる場合もあります。
先に紹介した贈答品のやり取りは、武家の間へも広がっていました。武家社会では八朔の祝いと呼んで、主従関係をより強固なものにするために贈答品のやりとりをお互いに行ったといいます。この八朔の祝いの贈答の風習が盛んになりすぎて、規制が入ったという話もあるそうです。体面を重んじる武家ならではの話なのかもしれません。
ちなみに、八朔は徳川家康が江戸城に入城した日でもあります。そのため、八朔は徳川将軍家には非常に大切な日とされていました。八朔の日には江戸城へと大名達や旗本達が参じて、主君である将軍に祝辞を述べていたそうです。また、江戸つながりでは、吉原の遊女達が白無垢の小袖を着て八朔を祝ったという話もあります。

現存するたのみの節句(八朔)の行事

八朔の贈答の風習は、いまやほとんど見受けられません。贈答の風習はお中元とお歳暮がすべて持って行ったかのようです。普段から頼みごとをする頼りにする人達への感謝という意味では、京都の祇園の舞妓さんや芸妓さん達が、唄や踊りの師匠やお世話になっている方のところへ、八朔のあいさつ回りをするしきたりが、現在に未だ残る、たのみの節句といえそうです。当日(新暦の8月1日)は、祇園の街を挨拶のために舞妓さんや芸妓さん達が行き来する様子を見ようと観光客がつめかけるそうです。
また、八朔祭りとして、たのみの節句のお祭りの息吹きが今に感じられるものも幾つかあるようです。たとえば、山梨県の都留市の地元では「おはっさく」と呼ばれる八朔祭りが、生出(おいで)神社の秋の祭りとして行われています。このお祭りでは、大名行列が目玉のようです。また、京都松尾大社(きょうとまつおたいしゃ)の八朔祭では、奉納相撲に神輿、盆踊り等の行事が行われています。そのほか熊本県山都町でも山車を引き回し、豊年祈願と商売繁盛を八朔祭りが行われています。このお祭りの山車は地元の自然から素材を調達して造られた「お造り物」というそうです。

たのみの節句や八朔のギフト

たのみの節句や八朔の日にプチギフト

はっさくという音を聞けば、多くの人が連想するのはかんきつ類の「はっさく」ではないでしょうか。果物のはっさく発祥の地である広島では、はっさくを大福餅の餡に使用して、ハッサク大福として銘菓が生み出されています。はっさくの果実を白餡で包み、それを餅で包んだ大福餅となっています。八朔前後によそのお宅を訪問することがあれば、こういった季節の果物を使ったお菓子を贈り物にして、話のタネのひとつにしてみるのもいいのではないでしょうか。
このように、今はもう見る機会があまり無さそうな、みのりの節句や八朔の贈答の風習をちょっとしたギフトで現在に復活させてみるのも気分が変わって良いかもしれません。普段、お世話になっていて、何かちょっとした贈り物をしたいときなど、八朔をそのタイミングにしてみてはいかがでしょうか。

たのみの節句はお中元の原点

ちなみに、たのみの節句での贈答の習慣が現代日本のお中元などに見られる贈答習慣の原点と見る向きもあるようです。確かにお世話になった方、何かを頼みたい方に贈り物をするわけですから、類似性を感じるところです。そこで、ついでにお中元の由来や歴史についても見ていきましょう。
実は、お中元で贈答が盛んに行われるようになったのは近年のことだといわれています。江戸時代まではお中元は贈答儀礼の行事ではありませんでした。それではお中元はどのような行事だったのかというと、元々中国の風習で、旧暦7月15日を中元といいました。これは1月15日を上元、10月15日を下元としたことに対応していて、合わせると三元と呼ばれます。中国の宗教の道教では、この日にもてなしをすると罪を赦されるという考えがあり、盂蘭盆会(うらぼんえ)の先祖への供物、つまり先祖への贈り物の風習が混交し、日本に伝わったようです。そして日本では特に盂蘭盆会に贈答する部分が残っただけでなく、生御霊(いきみたま)と呼んで、まだ存命の父母や恩人、年長者に贈り物をする習慣が室町時代からあったそうです。この生御霊への供物をもって、お中元の原点と見る向きもあります。ただお中元の品にそうめんなど麺類が多数見られたのは、収穫儀礼との関連性も指摘されています。その意味では、収穫の前祝である、たのみの節句の影響が見受けられるのかもしれません。

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土用の丑とはどのような日?

ウナギを食べる日としてお馴染みであろう土用の丑の日ですが、そもそも土用の丑の日とは一体どのような日なのか、土用とは丑とは、また、どうしてウナギを食べる日になったのかなどを紹介しています。同じウナギを食べるにしても、なぜウナギを食べる習慣が生まれたのかを知っておけば、夏の暑いさなかでも食が進むかもしれません。

土用の丑の日とはどのような日?

土用の丑の日はいつのことなのか?

土用の丑の日というのは、年4回ある土用という雑節の期間にやってくる丑の日のことを指します。雑節は、太陽の動きを元に一年を24等分した二十四節気を補完する季節の区切りです。二十四節気とは古代中国で作られた季節の区切りで、江戸時代に日本にも取り入れられました。また丑の日とは、昔から年だけでなく日にも十二支の干支が割り振られていて、その中の丑に当たる日ということです。
ところで、雑節として年に4回ある土用とはいつなのかというと、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間(19日間の場合も)にあたります。土用の土とは中国で生まれた世界観、陰陽五行説に由来します。陰陽五行説とは、ものごとの現象を陰と陽の二元論で捉え、木火土金水の5つの要素で世界が構成されているとする考えです。ちなみに五行の木・火は陽、金・水は陰に属するとされています。そして土はどちらでもない中間です。
この前提の下では、春と夏はそれぞれ木と火が当てはめられ、秋と冬には金と水が当てはめられます。そうしたことで、浮いた土を当てはめる場所が前述の立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間となりました。また、土用は18日間で十二支は12日間、暦の巡りによっては2回の丑の日が訪れることもありえます。

土用の丑の日は季節の変わり目

先に紹介したように土用は立春、立夏、立秋、立冬の前にある期間です。つまり、季節の変わり目の期間ということになります。現代でも季節の変わり目は、天気や気温の急激な変化や寒さ暑さのぶり返しで体調を崩し易い時期です。特に立秋の前にある夏の土用は、梅雨明けからの厳しい夏の暑さもあって気をつけたい時期です。
こうしたことから、元々は様々な土用の風習があったようですが、今日では土用というと、おおよそ7月下旬から8月中旬にあたる夏の土用を指すのが一般的になっています。

土用の丑の日の行事食、ウナギ

土用の丑の日にウナギを食べるようになった理由

夏の土用が季節的に特に体力を消耗し易いということは先に紹介したとおりですが、そういう時期ですから体に精が付くものを食べるのが良いとされていました。そうした風潮がある中で、平賀源内という江戸時代中頃の人物が宣伝を頼まれた鰻屋のために考えたのが、「土用の丑の日には『う』の付くウナギを食べると良い」と鰻屋の看板に「本日丑の日」と書いたところ、鰻屋はこの宣伝で大繁盛したといい、土用の丑の日にウナギを食べるという風習が現代まで続いています。なお、平賀源内は、現代的に呼ぶならマルチタレントとでもいうような、多芸多才な人物として知られています。土用の丑の日にウナギの宣伝を考えたと伝わるだけでなく、蘭学者、発明家、医者、本草学者(医薬品の学者)、戯作者(作家)、浄瑠璃作者(シナリオライター)として活躍した人物です。
また、平賀源内の宣伝に負けず、ウナギは古代から栄養があって精力が付くと考えられてきた食材です。室町時代くらいまでは、丸ごと焼いてブツ切りにして食べていたようですが、江戸時代に入ってからは、蒲焼、寿司、焼き物など様々な調理法で食されるようになりました。ちなみに現代食べられているようなウナギの蒲焼は、江戸時代にほぼ出来上がっています。このウナギの蒲焼を作る際に関東と関西で違いがあるのは有名です。まず身の開き方が、関西は腹側から身を開き、関東は背側から身を開くところで違います。武家の多い江戸では腹から開くのは切腹につながるため、好まれなかったと言われています。そして、焼き方にも差があります。関東は頭と尾をとって二つ切りにし、両面を白焼きにしてから蒸し焼きにし、最後にタレをつけて焼きますが、関西では頭も尾も落とさずに身の方の片面のみ白焼きにしてから、タレを付けて焼くという違いがあります。

ウナギだけでない土用の丑の日の行事食

土用に食べると精力が付く食べ物は、ウナギだけではありません。夏の土用に搗(つ)いた餅を食べると、夏バテを防ぐという土用餅があります。関西や北陸では、あんころ餅にして食べる風習があるそうです。また、「土用蜆(どようしじみ)は腹の薬」と言って、夏に旬を迎えるミネラル豊富なしじみを食べて暑い夏を乗り切るといった土用蜆というものもあります。そのほか、ウナギと同様に食べると良いとされる「う」が付くものがあり、うどん、瓜、梅などが該当し、かつては土用の丑の日に食べる習慣があった様です。

土用の虫干し

土用は精力の付く食べ物を食べるだけではありません。土用干しという言葉があるように、晴天の日を選んで衣類を虫干しするのも良いでしょう。衣類だけでなく寝具、書籍、掛け軸のような書画といったものも虫干しするチャンスです。梅雨の時期に湿気を溜め込んでいるかもしれませんから、土用を機会に虫干しをするとスッキリした気分になり、夏の暑さもしのぎ易くなるかもしれません。

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